ブログブログ

【代表インタビュー】~外資系コンサルタントのスタートから資料作成研修を始めるまで~松上純一郎 (前編)

米国戦略コンサルティングファームMonitor Groupに入社し、外資系製薬企業のマーケティング戦略や営業戦略、途上国政府の依頼によるツアリズムのマーケティング戦略、国内企業の海外市場進出戦略やパートナーシップ戦略策定にも参画。
その後、シリコンバレーのベンチャーキャピタリスト原丈人率いるアライアンス・フォーラム財団に参画。発展途上国プロジェクトの企画立案・実行に従事。ザンビア、バングラデシュでの日本企業のマーケティング支援に携わる。
現在は株式会社ルバート代表取締役を務める。

今回は松上さんにどのような想いを持ってルバートを設立したのかをお聞きしました。

 

「開発学」の分野からコンサル業界へ

―――大学時代から現在までのキャリアをお聞かせください

大学時代はグリークラブという合唱団に所属し、部活中心の生活をしていました。大学3年生の頃、ようやく進路について真剣に考え始めました。もともと海外留学に興味があったこともあり、大学卒業後は就職ではなく留学という選択をすることにしました。

大学では新聞学を専攻し、ジャーナリズム論を勉強していましが、留学するにあたって専攻分野を考えたとき、「いままで勉強してきたジャーナリズム論ではないな」と思いました。なぜなら伝えることは大事ですが、もっとダイレクトに物事に取り組める方が自分には向いているのではないかと思ったからです。その観点で見つけたのが「開発学」という分野でした。「開発学」とは、簡単に言うと発展途上国がどのようにしたら発展していくかという学問です。「開発学」を学ぶためにイギリスの大学院を修了し、帰国後もより深く学ぶために日本の大学院に通いました。

留学、大学院での勉強を通じて、発展途上国について色々な角度から学びました。実は、発展途上国というのは他国政府やNGO団体からの援助によって成り立っている部分があります。「援助を前提とした構造は、永続的なものなのか」とだんだん疑問を抱くようになっていきました。疑問を払拭するためにも「もっとビジネスに直結したことをやりたい」と思い、コンサル業界に足を踏みいれました。なぜ、コンサル業界を選んだかいうと、やるからには本気でビジネスを体感できる場所がよいと思ったからです。外資のコンサルティング会社で丸3年働きましたが、この3年間でビジネスマンとしての基礎スキルを習得することができました。その後は、以前から興味があった発展途上国開発の分野での仕事をするためにNGOに転職しました。

コンサルティング会社で働いてみてわかったことは、コンサルタントを雇えるのは予算に余裕のある業界No.1かNo.2の大企業に限られるということです。お金に余裕のある企業がより収益を上げるためにコンサルタントを雇う、まさにお金が中心の世界だと感じました。一方でNGOはどれだけ収益を上げたかではなく、社会的にどれだけインパクトがある組織であるかが重要になります。

ビジネス業界、NGO業界の両方の立場を経験し、双方ともに一長一短あるなと思うようになりました。そこで自分なりにビジネス的インパクトと社会的インパクトの良いバランスを見つけたいと思い、結局独立をして仕事を始めることになりました。というわけで、「社長になりたい、会社を作りたい」という強い想いで起業したわけではなく、自分が求めている会社がなかったので成り行きで会社を作ってしまったというのが現実なんです(笑)

 

受講生の反応を直で味わえることがこの仕事の醍醐味

―――なぜ研修・資料作成を軸とした会社を設立したのですか

きっかけの1つは、コンサルタント時代にあります。コンサルティング先のお客さんが「資料がなかなか納得いくものにならない。相手にうまく伝わらない」と困っている姿を目の当たりにしていました。加えて、私はコンサルタント時代に資料作成のイロハを徹底的にたたきこまれていたので、「論理的でわかりやすく伝わる」資料作りに自信がありました。

独立する前にNPOの友人からの依頼で、資料作成研修を個人で教える機会がありました。研修を実施してみて、私の考えが大きく変わりました。というのもそれまでは、「研修の仕事は、あまりかっこいいものではない」というイメージを持っていました。コンサルティングの醍醐味は、大きなプロジェクトに携わることであり、研修という仕事を少し軽く見ているところがありました。その理由から自分でも胸を張って研修の仕事をやろうとは思えませんでした。

しかし、資料作成研修をやってみると、生徒の変化が見られ、大きな意義を感じました。生徒が研修の成果に心から喜んでくれたり、会社での評価が上がる人もあらわれたりと、とても役に立つ仕事だと気づきました。そこで、資料作成や研修を軸にした事業を本格的に始めようと思ったのです。

 

後編はこちら