1. はじめに
「今の仕事に大きな不満があるわけではない。でも、このままでいいのだろうか」
キャリアについて相談を受ける中で、このような言葉を耳にすることがあります。仕事もある程度できるようになり、周囲からも評価されている。役職もつき、責任のある仕事を任されている。それにもかかわらず、ふとした瞬間に「この先、自分はどうなっていくのだろう」と不安を感じる。
特に30代・40代の中堅社員になると、若手の頃のように「目の前の仕事を覚える」ことだけを考えていればよいわけではありません。管理職を目指すのか、専門性を高めるのか、別の仕事に挑戦するのかなど、今後のキャリアについて考える機会も増えてきます。一方で、選択肢が増えることで、かえって「自分は何を目指したいのだろう」と迷いを感じることもあります。
このような時、「やりたいことは何ですか?」と聞かれても、すぐに答えが出てくるとは限りません。
コーチングでは、必ずしも最初から明確な「やりたいこと」を見つけることを目指すわけではありません。これまでの経験を振り返りながら、「どんな時に仕事のやりがいを感じるのか」「何を大切にして働きたいのか」「どのような環境で自分の力を発揮できるのか」といったことについて、対話を通して整理していきます。
今回は、「このまま今の仕事を続けていいのか」と悩んでいた中堅社員の方とのコーチング事例をご紹介します。なお、守秘義務の観点から、お名前や具体的な内容は一部変更しています。
2. 「このままでいいのか」と悩む中堅社員のコーチング事例
ITサービス会社に勤める40代男性、佐藤さんの事例です。
新卒で現在の会社に入社し、20年近く勤務。これまで営業、企画、プロジェクトマネジメントなど幅広い業務を経験し、現在は10名ほどのメンバーをまとめるマネージャーとして働いていました。会社からの評価も高く、大きな問題を抱えているわけではありません。しかし、ここ数年、仕事に対して以前ほどの充実感を感じられなくなっていました。
コーチングの冒頭、佐藤さんはこのように話されました。
「仕事自体は嫌いではないんです。会社にも特に不満はありませんし、周りからも評価してもらっています。ただ、最近『このままでいいのかな』と思うことが増えてきました」
詳しくお話を伺うと、佐藤さんにはいくつかの悩みがありました。
「今のポジションである程度やりきった感じがあるんです。部下のマネジメントも経験しましたし、プロジェクトも一通りやってきました。もちろん、まだまだ勉強することはあります。でも、若い頃のように『これを身につけたい』というものが見えなくなってきて……」
さらに、
「同期の中には転職して新しいことを始めた人もいます。SNSなどを見ると、40代から新しいことに挑戦している人も多いですよね。今の会社を辞めたいと強く思っているわけではないのですが、このままでいいのかなと考えると、転職という選択肢も頭に浮かんできて……」
佐藤さんのお話を伺っていると、「今の仕事に不満がある」というよりも、「これから自分が何を大切にして働いていきたいのか」が、少し見えにくくなっているように感じました。そこで、これまでのキャリアを振り返りながら、佐藤さんが仕事をしていてやりがいを感じた経験について伺いました。
コーチ:「これまでの仕事の中で、『この仕事をやっていてよかった』と思ったのは、どんな時でしたか?」
佐藤さん:「うーん……。そうですね。大きな案件を成功させた時も嬉しかったですが……」
少し考えた後、こう続けられました。
佐藤さん:「実は、部下が自分で考えて動けるようになった時が、一番嬉しかったかもしれません。最初は仕事の進め方が分からなかった若手が、自分で課題を見つけて、私に相談してきた時とか。『ああ、成長したな』と思います」
コーチ:「その時、佐藤さんはどんな関わりをしていたのでしょう?」
佐藤さん:「そうですね……。最初は仕事の進め方を一緒に考えたり、すぐに答えを教えるのではなくて、『どう思う?』と聞くようにしていました。少しずつ自分で考えてもらうようにしていったんです」
コーチ:「今のお話から、佐藤さんご自身について、何か気づくことはありますか?」
佐藤さん:「そうですね……。自分が直接成果を出すことだけじゃなくて、その人が成長するきっかけをつくることにも、やりがいを感じているのかもしれません。自分が関わることで、誰かができることが増えていくのが好きなのかもしれないですね。」
コーチ:「今のお話を踏まえて、これからの仕事について何か考え方が変わりそうなことはありますか?」
佐藤さん:「はい。そう考えると、今の仕事でも、もっと人を育てたり、チーム全体を良くしたりすることに関われるかもしれません。今までは、自分が次に何の仕事をするかばかり考えていましたが、どんなことにやりがいを感じるのかを考えると、少し見方が変わってきますね」
佐藤さんは、これまで「自分はこの先、何の仕事をしたいのか」ということを中心に考えていました。しかし、対話を通じて、「どんな仕事に就くか」だけではなく、「どんなことにやりがいを感じるのか」という視点から、自分のキャリアを考えることができると気づきました。
3. 対話を通じて見えてきた「仕事のやりがい」
ここまでの対話を踏まえ、コーチは佐藤さんに、今後の仕事についてさらに問いかけました。
コーチ:「具体的に、どんなことに取り組んでみたいですか?」
佐藤さん:「これまでは、転職するかどうかばかり考えていました。でも、今の会社で働き続けるとしても、できることはありそうですね。」
そして、しばらく考えた後、
「若手を育てるだけじゃなくて、自分の経験を社内にもっと広げたいです。一人ひとりの育成だけでなく、チームや組織全体の仕組みづくりにも関わってみたい。そう考えると、今の会社でもまだ挑戦できることがある気がします。」
と話されました。
ここで、佐藤さんの中では、「転職するか、今の会社に残るか」という二択で考えていたキャリアが、少しずつ違った見え方をし始めました。
その後、佐藤さんはまず、現在のチームで若手社員の育成方法を見直すことから始めました。また、自分がこれまで培ってきたプロジェクトマネジメントの経験を社内で共有する機会をつくるなど、新しい取り組みにも挑戦するようになりました。
数か月後のセッションでは、
「転職するかどうかを考えることに時間を使っていましたが、最近は『今の環境で何ができるか』を考えるようになりました。以前より仕事に対する見え方が変わった気がします」
と話されました。
もちろん、これによって佐藤さんの「転職」という選択肢がなくなったわけではありません。むしろ、自分が仕事で大切にしたいことが明確になったことで、選択肢は広がりました。「今の会社で挑戦する」「社内で新しい役割をつくる」「将来的に転職する」といった複数の選択肢を、自分の軸に照らして考えられるようになったのです。
4. まとめ
今回の事例のように、キャリアについて悩んでいる方は、必ずしも「今の会社を辞めたい」と思っているとは限りません。「このままでいいのか」という漠然とした不安の背景には、「自分は何を大切にして働きたいのか」「どのような仕事にやりがいを感じるのか」といった、自分自身についての理解がまだ十分に深まっていないケースがあります。
また、キャリアについて考える際、「次はどの会社に行くか」「どんな役職を目指すか」「どんな仕事に就くか」といった“外側”の選択肢に目が向きがちです。しかし、その前に「自分は仕事を通じて何を得たいのか」「何を大切にしたいのか」を考えることで、今までとは違った選択肢が見えてくることがあります。
コーチングでは、コーチが答えを提示するのではなく、対話を通じてご本人がこれまでの経験や現在の状況を捉え直し、自分自身が大切にしたいことや、これからの可能性を考えていきます。「やりたいことが分からない」という状態から、必ずしもすぐに明確な答えが出るわけではありません。それでも、自分が大切にしていることに気づくことで、「まずはこれをやってみよう」と、次の一歩が見えてくることがあります。
企業においても、社員一人ひとりが自分のキャリアについて考え、自ら選択し、行動していくことは、キャリア自律を促すだけでなく、現在の仕事への向き合い方や組織の中での新たな役割を考えるきっかけにもなります。
特に、一定の経験を積み、組織の中核を担う中堅社員が、自身の経験や強みを生かしながら新たな役割や挑戦を見出すことは、本人の成長だけでなく、組織に新たな価値を生み出すことにもつながります。
本日の内容が、社員のキャリア支援や人材育成について考える際の一つの参考になれば幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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志鎌 あかね
本田技研工業(株)に10年間勤務。海外営業や物流、人事を経験。人事部では新入社員から次期経営幹部候補まで、計約900名の人材育成に携わる。米国のリーダーシップ開発機関や欧州のビジネススクールとも協同。
現在はライフキャリアコーチとして活動中。
研修講師や企業の次世代リーダー支援も務める。
プライベートでは不妊治療を経験。直感や比喩を用いた問いかけを通じ、漠然とした将来のイメージを具現化するライフキャリアデザインに定評がある。
・ 国際コーチング連盟認定コーチ(PCC)
・ CTI認定プロフェッショナル・コーアクティブ・コーチ (CPCC)
・ 国家資格キャリアコンサルタント
・キャリア・デべロップメント・アドバイザー(CDA)